2023.01.31
カルチャー / グルメ
出荷量の3割を占める国内最大の醤油産地である千葉県。伝承によれば永禄年間(1558~70年)に、野田の飯田市郎兵衛の先祖が甲斐武田氏にたまり醤油を献上し「川中島御用溜醤油」と称したのが始まりとされ、江戸時代には「ヤマサ醤油」「ヒゲタ醤油」をはじめ、今も続く醤油蔵が次々と誕生。野田や銚子を中心に一大産地へと成長していきます。
しかし現在、自社で醤油を仕込んでいる蔵元は13軒のみ。かつて400軒あった醤油屋は戦後、巨大資本と機械化の波におされて徐々に淘汰され、県南部で生き残った唯一の蔵元が「有限会社 宮醤油店」(屋号:タマサ醤油)です。
創業188年、天保5年(1834年)に上総国佐貫藩(千葉県 富津市佐貫)に誕生以来、自然の温度管理による天然醸造にこだわり、木桶仕込み醤油の味を守り続ける宮醤油の宮 敬一郎社長に、千葉県と醤油の歴史と伝統について伺いました。
宮「醤油は和歌山県の湯浅(有田郡)が発祥の地といわれています。古くから和歌山県と千葉県は交流があり、紀伊半島の漁師さんらが黒潮にのったカツオを追いかけて房総沿岸にたどり着き、そのまま移り住むこともあったようです。そのせいでしょうか“勝浦”や“白浜”など共通する地名がありますよね。醤油の作り方もいちはやく漁師さんらから伝わったようで、銚子の「ヤマサ醤油」なども湯浅の広村(現、広川町)の出身です」
夏は暑く冬は適度に寒い気候にくわえ、潮風が運ぶ湿気も微生物の発酵を促すのに好条件だった千葉。江戸を中心に需要は高く、舟で利根川をさかのぼり江戸川へと入れる銚子を拠点に県北部には醤油蔵が乱立するようになります。
一方で、交通の便が悪く重さのある四斗樽(しとだる/4斗は72ℓ)醤油を運ぶ手段に乏しかった県南部は自給自足が進み、町や村ごとに醤油屋が根付いていきます。佐貫のように砂浜があり、東京湾の海流を利用し神奈川や東京といった消費地への船搬が可能だった地域は醤油蔵が栄えましたが、やがて道が整備されトラックで運ぶようになると減少の一途をたどります。
宮「昭和8年の千葉県醤油工業組合の名簿に400軒以上あった醤油屋は、今はたった13軒※…すなわち-キッコーマン(野田)、ヤマサ醤油(銚子)、ヒゲタ醤油(銚子)、ちば醤油(香取)、入正醤油(香取)、タイヘイ(匝瑳)、窪田味噌醤油(野田)、キノエネ醤油(野田)、大髙醤油(山武)、宝醤油(銚子)、小倉醤油(銚子)、田中醤油(君津)、宮醤油(富津)と、いずれも、原料から仕込んでいる個性のある醤油屋さんです」
(※上記以外にOEM供給されているメーカー(協業工場で仕込まれた醤油を委託されてオリジナル製品をつくる)もある)
醤油の需要と供給が多かった関東地方では直径3m、高さが2.7mあるような通常より大きな木桶を使うのが一般的であり、宮醤油では150年以上前につくられた桶のうち生き残った25本を使い続けています。
伝統の木桶仕込みの醤油は、その木桶の個性が味や香りにでます。個性とは桶に住む菌に由来するもので、以前「かずさDNA研究所」(木更津市)が宮醤油の木桶に住む微生物を調べたところ実に1500種類もいたそうです。
宮「300~500種類はいると思っていましたが…驚きました。毎年、一番良くできた桶のもろみを他の桶に分け、それら木桶に育った菌をすこしずつ引っ越しさせて味の均一化をはかっていきます。桶の個性や違いを極力なくすのも醤油蔵の腕の見せどころ。わたくしどもは、これを188年間続けているわけです」
宮「新桶は、もろみを分けてから10年間ほどかかけて製品にできるレベルに育てるのですが、桶のなかには発酵に必要な菌と必要のない菌がおりまして、当然、不必要な菌だけを取り除く方法はなく、状態が悪くなれば桶ごと廃棄せざるを得ません」
木桶はとても貴重で新調するのが難しくなっています。醤油以外の酒や味噌といった発酵食品は生産性や品質、衛生を考慮しホーロータンクに切り替えられ需要が激減、製桶所も姿を消しました。そのため、店仕舞いした醤油蔵などから良い菌が住み着いている“血統の良い”木桶を探し買受け、即戦力として活用しているそうです。→ 次回へつづく
NEXT:宮醤油の美味しさの秘密と醤油グルメに迫る。
(有)宮醤油
千葉県富津市佐貫247
http://www.miyashoyu.co.jp