2023.04.21
カルチャー
職人たちによる丁寧で繊細な技が美しい「菅原工芸硝子」(以下、Sghr)。均一な厚みに正確なフォルム、ハンドメイドならではの温かみのあるコレクションの数々は、日々の暮らしに彩りをあたえてくれるアイテムとして根強い人気を誇ります。
東京青山や大阪、福岡の直営店をはじめ百貨店などにも広く展開するSghrスガハラですが、その工房は千葉県九十九里町にあり、敷地内に併設されたショップやカフェは、連日、県内外から訪れる愛好家で賑わいます。
菅原工芸硝子では専任のデザイナーを置いていません。実際に現場でガラスを成形し素材の性質を知り尽くしている職人たちが、自らデザインし、仕上げまでの全工程を担当することで、一瞬の閃きや発見をデザインに落とし込み、ガラス本来の美しさや魅力を表現できると考えるからです。
溶解炉には坩堝(るつぼ)が10個放射状に並んでおり、それぞれ色の違うガラスを1,400℃で溶解しています。坩堝のなかで水飴状に溶けたガラスは鉄製の棒に巻き取られ、各職人の分担作業により製品へと仕上げられていきます。
溶けたガラスが1,400℃から500~600℃に下がるまでの時間はたった1分ほど。少ない手数でカタチを決めるために、巻き取る職人、サオ(鉄パイプ)の先に小さい球を作る職人、成型する職人、サオから切り落として徐冷炉へ運ぶ職人など班体制で臨みます。
熱とは切り離せないガラス作りでは暑さ対策も重要。夏はサウナのような暑さになり、作業中はこまめな水分補給と栄養補給が欠かせません。
経験は不問。他のガラス工房で経験を積んだ後、より自由な表現をもとめて門をたたく人、美術系大学を卒業後に就職を希望する学生など職人の経歴や年齢はさまざま。現在、成型を担当する「製造一部」に30名、成型後の仕上げ加工を担う「製造二部」に10名ほどの職人が在籍しています。
8時に始業し夕方5時に終業。夜間は、窯番が翌日に備えて必要な分量のガラスを煮溶かします。窯は燃やしつづけられ、溶解炉を造り変える日まで火は落とされることはありません。
ガラスのおもな原料は珪砂(けいしゃ)・ソーダ灰・石灰石の3つ。これらに色の原料となる鉱物等をまぜて調合した後、溶解炉で溶かしたものをサオに巻きつけ成型していきます。
出来上がった作品は約3時間かけてゆっくりと徐冷され、さらに研磨や焼き上げなどの二次加工を施され出荷に至ります。ガラスの厚みや重さに微妙な差が生じるのはハンドメイドならでは。二次加工では、個体ごとのプラス・マイナス差を考慮しながら規格にそって仕上げ作業が行われます。
菅原工芸硝子は昭和7年(1932)年に台東区亀戸にて創業。その後、墨田区へ移転し前身となる「菅原硝子(株)」が設立されます。当時、都内には60社ほどのガラスの工場がひしめいており、なかでも需要地である浅草をかかえる江東区や墨田区は、ガラス工芸をはじめとした加工業がさかんな土地でした。
昭和36年(1961年)に千葉県へ移転。花見に訪れた先代社長がその環境の良さに魅せられ、当時は東京へのアクセスが悪かったにもかかわらず、九十九里町へ引っ越しを決断。その後、オイルショックを機に問屋からの注文が激減し、さらには安く大量生産できる技術も発達したことから、自分達が作りたいものをつくるスタイルへと舵をきります。
以降、職人たちを中心に自社開発、自社製品を販売する姿勢を貫いており、今年3月発表の新作コレクションは15シリーズ75点。そのなかには外部とコラボレーションした作品や、デザインコンペから誕生した作品などもあり、これらSghrコレクションのほとんどを手に取ることができるのが、敷地内に建つ「スガハラ ファクトリーショップ」です。
リサイクルガラスにも積極的に取り組んでいます。そもそもガラスは3R(リでュース・リユース・リサイクル)に優れた素材であり、製造過程で生まれた端材は色別に管理し原料として再利用しています。
一方で異物が混入した端材や色別に管理できない端材は、発色に影響を与えてしまうため廃棄されていましたが、それを個性と捉え一期一会のリカラーとして発表した『Sghr Recycle』。また、自宅で眠っているガラス製品や壊れたガラス製品を持ち込んでもらい、よみがえらせる“お客様とつくるリサイクルプロジェクト”なども行っています。
器やコップを見学した後には、同じく敷地内に建つ「Sghr café Kujukuri」へ。自家製フードやスイーツ、ドリンクをSghrのガラス器でいただきます。個性的な器やコップとフードの組み合わせを楽しめるだけでなくフードの盛り付け方なども参考になりますね。
菅原工芸硝子株式会社
千葉県山武郡九十九里町藤下797
www.sugahara.com